タイトル 建築家・浦辺鎮太郎の仕事 倉敷から世界へ、工芸からまちづくりへ
日時 2019年10月26日(土)〜12月22日(土)10:00-18:00(入館は17:30まで) 休館日:月曜(但し、祝日・休日の場合は開館)
会場 倉敷アイビースクエア アイビー学館(岡山県倉敷市本町7-2)
料金 一般 1,000円、大学生 500円、高校生以下無料
電話番号 06-6220-0102(浦辺鎮太郎建築展実行委員会事務局/株式会社浦辺設計内)
主催 浦辺鎮太郎建築展実行委員会(実行委員長/松隈 洋)
展覧会公式ホームページ https://urabeten.jp

倉敷国際ホテル(1963年)吹抜ロビー
撮影:奥村浩司(Forward Stroke Inc.)

岡山県倉敷出身の建築家、浦辺鎮太郎(1909-91)の業績を振り返る特別展。主な作品として、大原美術館分館や倉敷国際ホテル(1965年日本建築学会賞作品賞受賞)、倉敷市庁舎などがある。
浦辺は京都帝国大学工学部で建築を学んだ。当時の日本は昭和恐慌の只中にあり、やがては戦争へと突き進む苛酷な時代であったが、建築学科の教員には、関西建築界の重鎮だった武田五一(1872-1938)を中心に、藤井厚二(1888-1938)、森田慶一(1895-1983)、坂 静雄(1896-1989)らがおり、自由闊達な雰囲気があったという。ヴァルター・グロピウス(1883-1969)やル・コルビュジエ(1887-1965)、ウィレム・マリヌス・デュドック(1884-1974)といった海外の建築家の思想にも影響されながら、1934年(昭和9)に同大学を卒業した浦辺は、地元の倉敷絹織(現・クラレ)に営繕技師として入社する。同期には、同社の創業者(後に大原美術館を設立する大原孫三郎)の息子である大原総一郎(1909-68)がおり、また営繕課の上司には、大原美術館の設計を手がけた薬師寺主計(1884-1965)がいた。浦辺は営繕部の仕事をこなしながら、一般の設計とプレファブ住宅の研究開発を行なう倉敷建築研究所を1962年に設立、代表取締役を務める。その2年後に倉敷建築事務所を開設して独立した。

倉敷アイビースクエア(1974年)食堂前廊下
撮影:奥村浩司(Forward Stroke Inc.)

浦辺が手がけた建築は、戦後の主な作品だけでも300点ほどあり、そのうち約2割が倉敷に建てられている。倉敷市民会館や倉敷考古館の増築など、現存する建物や資料からは、大原と共に、倉敷の伝統的な町並みと調和する近代建築の在り方を追求していたこと、クラフト(手仕事)とインダストリー(工業化)の融合にも取り組んでいたことがわかる。
本展では、倉敷の営繕技師として活動を始めた初期から晩年まで、半世紀に及ぶ浦辺の設計活動の軌跡を追う。浦辺の大規模な回顧展は没後初。会場となる倉敷アイビースクエアは、明治期に倉敷紡績所(現クラボウ)発祥の地に建てられた赤レンガ造の工場を、浦辺が1974年に宿泊施設にコンバージョンして再生した施設。当時としては先駆的な試みであったことなどが高く評価され、翌年の日本建築学会賞作品賞を受賞している。会期中、「倉敷の建築文化」と題して計5回の連続シンポジウムも開催される(登壇者や申し込み方法など詳細は、展覧会公式ホームページ参照)。
倉敷での展示の後、2020年秋には、市内に大佛次郎記念館や横浜開港資料館、神奈川近代文学館などが現存する、横浜の会場(横浜赤レンガ倉庫)に巡回する。




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