モクコレセミナー、無事終わりました。30分は短かった。
南雲さんと赤堀さんのお話、もっと聞きたかったでした。
木は自然のものでそれぞれ異なる、その1本1本をていねいに扱って大事に使いたい、
そんな風にしていると人の交流も生まれて愛着も湧く。
そんな視点が広まればよいのにと思います。
出展者からは切羽詰まった声も聞かれました。
京都の北山杉の磨き丸太や絞り丸太、床柱の代名詞でしたが、
和室がめっきり少なくなってしまったいま、すっかり需要が減ってしまったとのこと。
日当たりを見ながら丁寧に枝を払い続け、大事に大事に育ててきたのに。
えくぼのような節を景色と見る人も、経年変化による艶を愛でる人もいなくなってしまいました。
京都を北上すると、「気をつけ」をしているように整然ときっちりと杉が立ち並ぶ森が
北山ならではの風景をつくっていましたが、
そんなのももう消えゆくかもしれない、とのことです。
通直な美人の丸太。生かす道はないものでしょうか。
隠岐の島のマツも心配です。写真を見せていただくと、
海沿いのそれはそれは見事であっただろう松林が、
マツクイムシにやられて無残な姿に変わってしまっていました。
それでも、被害にあってからの時間が短ければ、伐採して家具などに使うことができる、
そして虫に強いマツを植えるのだと地元の方々は努力を重ねていらっしゃいました。
もちろんスギはもちろん、シイも多いとのこと、
シイは水に強いはず、おもしろく使えるのかもしれないです。
木や森は風景や文化を引き継ぐ存在。
消費財として、ほかの建材と並べることに無理がある、とも思いました。
「森林環境税」は、そんな意味で創設されるのでしょうか。
一方では、木の建材や製品には、まだまだデザインが足りないなーと感じたのもたしか。
ということは、可能性があるんだと思います。
いまの人に新鮮に見える和室っていうのもあり得るんじゃないかなー。どうでしょう。
(編集部 多田)