初めてインドに行った

「インドに行くべき人は、おのずとインドに行くことになる」

藤原新也だったか三島由紀夫だったか横尾忠則だったか忘れてしまったが、20代の頃に読んだ本に、そんな意味のことが書いてあった。私はやすやすと感化された。
なるほど、たしかにそうに違いない。もし自分がそんな星のもとに生まれたのだったら、行くべき機会が訪れる、そうでなかったら仕方ない、だからあえて自分からは動かないぞ、そんな呪縛にすっかり囚われた。

ガンガ・リバー(ガンジス川)に流す花。

しかしはたして、何者でもなくインドへの特別な志も持たない私に、そんな巡り合わせがやってくるはずもなかった。その後、仕事で、プライベートで、海外には何度か行くことになった。インドに行ってみたいなあ、そう何度も思ったけれど、「呪縛」を思い出して観光で行く気にはなれなかった。

30代40代と年をとる。もしかしたら一生インドに行く機会なんてないのかもしれない。私は半ば諦め、半ば納得する準備に入っていた。

 

3年前のある日、Facebookのタイムラインで目に入ってきた動画に私は釘付けになった。

石積みの風景だった。足場は竹で組んであるが、それは使われておらず、地上に居る人が上に立つ人に石を手渡しし、ゆっくりと積んでいく。みんなで土をリレーしながら塗りつけていった、輪島で見た土蔵づくりを思い出す。いまの時代にあり得ないほどの手づくりだ。土着の伝統的な建物の修復なのだろうか? いや違う、現代の建物だ。すぐには事態が飲み込めなかった。それにしても、なんてすてきな光景なんだろう。

ガンガ・マキテキスタイルスタジオ施工風景。提供/ganga maki textile studio
ガンガ・マキテキスタイルスタジオ施工風景。提供/ganga maki textile studio

タイムラインは真木千秋さんのものだった。長年、インドで織物づくりをしているテキスタイルデザイナーだ。そのタッサーシルクのストールや衣は、ハリがあってしなやかで肌に気持ちよく、個人的にもファンである。20年以上前、できたばかりの東京都下にあるご自宅と、南青山にあったショップを取材させていただいたときのことは、いまもよく覚えている。「素材のリアリティ」という特集だった(『コンフォルト』1997年10月号)。千秋さんは、それぞれの織物を構成する糸が、どのような蚕からどうやって紡いで得られるのか、この色はどんな植物のどんな部分でどのように染めるのか、丁寧に教えてくれた。

「タッサーの糸が茶色いのは、タンニンを含む沙羅双樹の葉を食べているから。繭が大きくて丈夫なのは、すごく暑かったり、スコールが降ったあとカーッと晴れたりという、厳しい気候から幼虫を守るためのシェルターだからでしょう。そういった『自然』が糸に出てくる。その豊かさをなるべく生かすようにしたいんです」

タッサーシルク。撮影/北田英治

記事のなかの千秋さんの言葉だ。そして彼女は、織物をつくる姿勢と同調するように、北インドに自らの工房を手仕事でつくっていたのだった。

ここに行きたい。ここは行くしかない。っていうか、行くことになっているね、これは。都合良く私は勝手に決めつけた。そういうときは、不思議に悩まないものだ。もう、そう決められているのだから。あとは手続きを踏めばいいだけだ。そのとき、冒頭の一文は思い出しもしなかった。

 

そんなわけで取材に押しかけることになった。2017年、当地がベストシーズンの2月。ガンガ・マキテキスタイルスタジオのオープニングだった。

その記事はコンフォルト156号 2017年6月号に掲載している。そこは本当に本当に、いい環境、いい場所、いい建物だった。出会った瞬間にそう感じたのはもちろんなのだけれど、それ以上に、時間を経るごとにじわじわと、反芻するように身体でわかってくる感覚があった。

設計はかの有名なスタジオムンバイ・アーキテクツ。でも千秋さんは名前で頼んだわけではなくて、自然のなりゆきでそうなったということだろうし、施主と建築家は、会ってすぐにお互いの思いが一致していることがわかったのだと思う。

もちろん、建物をつくろうというときにトラブルがない、なんてことはあり得ない。ましてや異国の土地。法律も習慣も違う。でも彼らは、工房をつくるという課題に対し、ひとつひとつ向き合い、迷い、決断することを積み重ねて解決していった。私たちが訪れた場所はその結果、というよりも過程なのだった。

それは、ビジョイさんへのインタビュー中にも思い知ることになる。私はここがいかにすごいと思ったか、伝えようとして「ユートピア」という言葉を口にしてしまった。それを彼は即座に否定した。ユートピアではない、これは現実なんだ、そうビジョイさんは言い切った。多くの建築家が語るように、コンセプトやイメージ、設計上のルール、といった類いの話も出てこなかった。敷地の条件、建物に求められる機能、そういった現実に対して、具体的な案をいくつもつくり、素材や色や組み合わせ方などすべてを細かく検討する、それを納得するまで何度でも繰り返す、それが彼らの手法だった。

織りの工房。撮影/北田英治

さて、インタビューをまとめようとして考えた。そうだな、スタジオムンバイのやりかたは理想的だけど、日本では難しいだろうな。⋯⋯いや、ちょっと待って。なぜ自分はすぐにそう決めつけてしまうのだろう。決まってるじゃないか。工期や予算が見えない危険性があるからだ。ああ、そうだよね。工期や予算は大事なのはもっともだ。
だがしかし。いったい全体、工期や予算はすべてに優先することなのだろうか、なぜ工期や予算が大事なのか。いや、それはそうでしょう、契約を守らないと相手に迷惑をかける、予定がくるう、信頼を失う。自明の理だ。⋯⋯いや待って。それはすべて近代のルールで考えるからではないか。契約して労働して金銭を得る。それをあたりまえだと思っている。だけど、もうちょっと広く考えてみよう。本当にそれはすべてに通用すべきルールなのだろうか。成し遂げたい大きなビジョンがあって、自分がその一部だとしたら、どうなのだろうか。
インドの広場に座っていた、聖職者なのか乞食なのかわからないような人々を思い出す。そもそも自分は何のために生きているのだ? 一生の間にやるべきことは何なのだ⋯⋯⋯⋯?

日没の頃、ガンガ・リバーのほとりで毎日行われているプージャ(儀式)。

インドの道ばたで偶然会った人によって人生が変わったとか、聖地とされる場所でひらめきのようにお告げを受けたとか、そんな特別な体験をした人もいるだろう。私にはそんな機会は訪れなかった(最終日に受けたアーユルヴェーダ。それが劇的な効果をもたらしたりすればまだよかったのだけれど、実際にはかえってすっかり体調を崩してしまった⋯⋯)。
でも実際にインドに行って、若い頃の呪縛は吹っ切れた。私の場合は、奇跡を希求する必要はない。石や日干し煉瓦を積むように、日々コツコツと暮らしていけばいい。そしてときどき、インドの風景を、真木さんの工房を、これからも思い出そう。流れ続けるガンガ・リバーを頭に描き続けていこう、そう思う。

追記
さらに話は続く。国際色豊かなゲストを招いたガンガマキ・テキスタイルスタジオのオープニングには、日本人の男女で構成されたグループがいた。彼らこそ、日本における初めての実作プロジェクトをスタジオ・ムンバイ・アーキテクツスタジオに依頼したクライアントなのだった。「いまの日本では、彼らのようなやり方はあり得ないだろう」なんて思った私の、なーんてへなちょこだったことだろう!!
それが結実したのが、2018年の12月にオープンした「尾道LOG」である。すごいことだと思う。これについてもいろいろ書きたいところだけれど、またの機会に。
コンフォルト167号 2019年4月号をどうぞお読みください。

(編集部 多田君枝)

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